「作」醸造元、清水清三郎商店の外観。
かつてこの周辺には多くの酒蔵が並んでいたそうですが、現在鈴鹿市で稼動している酒蔵は清水清三郎商店1社のみでございます。
こちらが「作」の製造責任者、杜氏の内山智広さん。
お忙しい中、多くの時間を掛けて丁寧に説明して下さいました。
これから洗米する米を手に取って見せて頂きました。
「雅乃智」に使用する、精米50%の山田錦です。
蒸し上がったばかりの甑(こしき)。
これは「雅乃智」の添仕込に使用する掛米。
その蒸し米をシャベルで掘り出して、放冷機に投入し、熱を冷まします。
麹室で種麹を振る内山杜氏。
発酵中のもろみタンクを数本見学。
小さい泡がぷつぷつと沸き上がる様子が確認出来、周囲には酒蔵特有の甘い香りが漂っていました。
これは分析室での作業風景。
酸度、アルコール度数、日本酒度といった分析値はここで計測されます。
仕込み蔵を出て、瓶詰めを行う建物へ移動。
パストクーラー(急冷機)の前で、熱交換の説明をして下さいました。
「作」が持つ鮮度を残した火入れの酒はこの設備に秘密があるようです。
この日は酒の瓶詰め作業中で、酒が次々と瓶に詰められてラインを流れていました。
(上)光を当てて酒の中に異物が無いかを確認。
(左下)チェックを通過した酒はこのように機械で次々とキャップが取り付けられます。
(右下)生産ラインの終点。出来上がった酒は箱に詰められ、酒販店からのオーダーを受けて全国へ出荷されます。
酒蔵写真集恒例となった集合写真。
清水慎一郎社長を先頭に美しいフォーメーションが整いました。
清水社長と笑顔で握手のワンシーン。
清水清三郎商店には何回も訪問していたのですが、蔵元との握手の写真をこれまで撮り忘れており、今回ようやく撮影が実現しました。
清水清三郎商店は海に近い場所に建っており、歩いて2分程度の場所に砂浜があります。
天候が良ければ中部国際空港が見えるとのことです。
徳川家康も「伊賀越え」の際に、この辺りから船で三河国へ逃れたのでしょうか。
鈴鹿市は東部に海あり、西部に山あり、そして中央には伊勢平野の肥沃な土壌が広がっています。
蔵から車で少し移動して水田地帯に移動。
蔵の契約栽培米「神の穂」の田んぼを見学しました。
一通り見学を終え、清水社長の御自宅にて豪華な御食事と「作」の様々な酒を頂きました。
作のヒット商品「プロトタイプ」を清水社長にお酌する店主吾郎。
三重県の食材と言えば、伊勢エビ、アワビ、松阪牛!
美しいサシの入った松阪牛は脂の甘味が口中の温度で溶けるような繊細さ。
脂の美味しさと「作」の酒の相性は素晴らしい。
そして清水清三郎商店の地元、鈴鹿市若松の特産品は穴子。
「伊勢若松の穴子」と言えば御存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
清水社長の御好意で地元でも人気の穴子料理専門店「魚長(うおちょう)」にて昼食をセッティングして下さいました。
このお店の名物の1つが「穴子丼」。
御覧下さいこの豪快さ!丼からハミ出る程の大きな穴子がまるごと2匹。
サクサクの衣とふっくらした穴子の食感が楽しめる味も量も大満足の一品です。
鈴鹿市の名産品は食のみならず、長い歴史を持つ伝統工芸品「伊勢型紙(いせかたがみ)」も忘れてはいけない存在。
この酒は2012年、鈴鹿市制70周年を記念して清水清三郎商店が造った記念ボトルで、ラベルのデザインに伊勢型紙の文様を採用。日本文化の芸術性の高さが窺える外観に仕上がっています。
清水清三郎商店の地元ブランド「鈴鹿川」もこの伊勢型紙の文様があしらわれた新ラベルに切り替わっています。
蔵から車で10分程の場所にある大黒屋光太夫記念館にて。
大黒屋光太夫は鈴鹿市白子を拠点としていた回船の船頭だったが、江戸への輸送中に船が難破しロシアに漂着。日本への帰国願いを訴える為、極東ロシアから大陸を横断して皇帝エカテリーナ2世と謁見し、日本への帰国を果たした人物。
鎖国政策を敷いていた当時の江戸時代において、国交の無いロシアを見聞して来た人物として、そしてエカテリーナ2世との謁見を許された唯一の日本人として歴史にその名を残し、現在も地元の偉人として語り継がれています。
最後に鈴鹿市といえば、やはり鈴鹿サーキットが有名ではないでしょうか。
F1日本グランプリや鈴鹿8時間耐久レースが開催される日本を代表するレーシングコースがここにあります。
そしてその鈴鹿サーキットは本田技研工業(ホンダ)が建設したコースで、サーキット周辺にはホンダの大工場や関連の自動車工場が数多く並び、工業都市鈴鹿の一面を見ることが出来ます。