タクシードライバー 喜久盛酒造
今、日本酒ファンや著名人の間で注目されている話題の酒があります。
「タクシードライバー」という変わった名前の酒。
「タクシードライバー」は岩手県の喜久盛(きくざかり)酒造の5代目蔵元、藤村卓也さんが平成17年に立ち上げた新しい銘柄。
映画業界で活躍するデザイナーの高橋ヨシキさんの発案により命名され、「タクシードライバー」は生まれました。
「タクシードライバー」と聞くと映画を想像された方もいらっしゃるのではないでしょうか?
その通りです!
大の映画好きだった二人から生まれた名前の日本酒、それが「タクシードライバー」です。
●自然豊かな北上盆地で育まれた「喜久盛(きくざかり)」
きれいに雪化粧した北上山地や奥羽山脈。豊かな流れの北上川。
東北新幹線の車窓からは自然豊かな北上盆地の冬景色が流れています。
雪が舞う新花巻駅に到着すると蔵元が出迎えてくれました。
車での移動中、宮沢賢治記念館やイーハトーブ館、のどかな田園風景を見ていると15分程で到着。
一見すると酒蔵とは到底思えないような建物、実は、ここが今回の訪問先、喜久盛酒造(きくざかりしゅぞう)です。
喜久盛酒造は1894年(明治27年)岩手県の内陸部、北上市に設立。現在で5代続く酒蔵です。
(現在は北上市の本社から車で約5分の花巻市の蔵で酒造りを行っています。その理由は後ほど書かせて頂きます。)
社名は、3代目の藤村久喜(きゅうき)さんによって、「久喜が逆立ちしてでも盛り上げる」という意味で名付けられました。
現在の5代目、卓也さんは、先代の急逝に伴い2003年2月から代表取締役に就任しました。
そして、8年後の2011年…。
●震災、そして、厳しい現実。
2011年3月11日。
東日本大震災が蔵の運命を大きく変えてしまいました。
大きな被害を負った蔵はその後の余震によって半壊。
多くの機械も損壊してしまった為、とても酒造りが行える環境では無くなりました。
東日本大震災は沿岸部の津波被害が大きく報道されましたが、内陸部の被害も甚大でした。
「喜久盛酒造」でも瓦礫(がれき)を撤去し、蔵を復興させようと動き始めました。
しかし、ここで厳しい現実が…。
同じ岩手県でも沿岸部の地域には補助金が出たのですが、内陸部の北上市では補助金が下りなかったので
そのため「喜久盛酒造」は、自社での復興を余儀なくされることになりました。
ちなみに、「喜久盛酒造」の規模はかなり大きく、最盛期の製造石数は4500石だったそうです。
これは震災前の約15倍に相当する規模。
つまり、半壊状態の蔵を解体するだけでも莫大な費用が掛かるということになります。
しかも、それを全て自社で賄うとなると、現在(26BY)の製造石数約200石ではとても見合わない金額なのだとか。
それでも「喜久盛酒造」は復興に向けて立ち上がります。
●復興のカギを握る酒 「タクシードライバー」
苦境に立たされた「喜久盛酒造」に転機が訪れました。
「喜久盛酒造」のすぐ近く、隣接する花巻市にある白雲酒蔵の蔵元が亡くなられたことで廃業されることになったのです。
「廃業しても蔵を残したい」という白雲酒造の蔵元家族の思いと、
販売が好調な「タクシードライバー」を増産し、復興を進めたいという卓也さんの思いが1つになりました。
卓也さんは、廃業した蔵を借りて酒造りすることを決意したのです。
更に、卓也さんはファンドを募り、資金を調達。
2014年10月からは新しく、南部杜氏を迎え、新体制での酒造りを開始しました。
「タクシードライバー」は地元の飯米「かけはし」で造られた酒。
ユニークな名前もさることながら、力強く豊かな味わいで首都圏の地酒ファンを魅了。
やがて全国でも注目される銘柄に成長しました。
「喜久盛酒造」の真の復興は、半壊した北上の蔵での酒造りの再開。
佐野屋酒店は「喜久盛酒造」と東北の復興・発展を全力で応援して行きます!
●「喜久盛酒造」蔵元、藤村卓也とは
1972年4月27日、岩手県北上市に生まれる。
中学時代は運動が嫌いで吹奏楽部に所属していたが、プロレスに興味を持ち、高校ではレスリング部に所属する。
1990年、第17回東北総合体育大会レスリング競技、グレコローマンスタイル54kg級で準優勝。(これがきっかけで格闘技に益々ハマる。)
1991年、醸造には全く関係の無い大学に進学するも1年で中退。
上京してゲームクリエイター養成学校に入学。1994年、東京のゲーム会社に就職。ゲームプランナーとして活躍。
1999年、総合格闘技「RINGS」アマチュアリングストーナメント60kg級で準優勝。前田日明氏からトロフィーを授与される。
同年、グラップリング-Bで優勝したのを機に岩手県に帰郷。
2000年、「喜久盛酒造」の関連会社である花巻酒販に入社。
同年、総合格闘技団体「和術慧舟會岩手支部」の代表に就任。蔵の敷地内には道場がある。
格闘技の他にサブカル界でも活躍。
2003年2月。30歳の時に先代の急逝を機に喜久盛酒造五代目蔵元に就任。
2004年、喜久盛CM曲のリミックス盤がドイツのレーベルから発売。
2004年、映画業界で活躍するデザイナーの高橋ヨシキ氏と酒を飲んでいた時に、新しい酒の銘柄を考えるという会話となり「タクシードライバー」という酒名が考案される。
「ヨシキさんがラベルデザインしてくれるならマジでその酒を造りますよ!」
酒の席でそう口にした蔵元。
すると後日、本当にラベルデザインが蔵に届けられる…。
「酒の席での約束は守る」という考えの蔵元。
こうして2005年「タクシードライバー」が誕生した。
「日本酒は日本酒ファンだけに留まらず、もっと色々な人に日本酒を知って欲しい」という思いから、ゲームや音楽、自主制作映画等とのコラボ企画やイベントにも全国各地で多数参加。
2006年、三島由紀夫に似ていることから三島由紀夫役でインディーズ映画に出演。
(その後、三島由紀夫のコスチュームで日本酒イベントに参加することもあった。)
2012年8月、タクシードライバー命名の由来が講談社『実在ゲキウマ地酒日記』で紹介される。(詳細は「こちら」をクリック。)
現在は「タクシードライバー」と共に、異色の蔵元としても多方面から注目されている。
●店主が「タクシードライバー」を選んだ理由
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、東北、関東の多くの酒蔵が被災しました。
あれから4年(2015年2月現在)が経とうとしている今、被害を受けた多くの酒蔵は復興の道を歩んできましたが、その背景には補助金の力がありました。
古くから続く酒蔵は、建物が古いだけではなく、規模が大きい為、崩れた壁を補修するにも現代建築物と同様には行かず、大きな費用が掛かります。
喜久盛酒造は震災によって隣接している醤油蔵が全壊。酒蔵も歪んでおり、中に入るのが怖いくらいでした。
この蔵は明治時代に創業。昭和期に成長した際、古い蔵に新しい建物を継ぎ足して行き、最後は蔵全体を覆うほどの、更に大きな建物をかぶせ、蔵の規模を拡張してきました。
その為、建物の構造がとても複雑です。
当初は補強工事を業者に依頼したのですが、複雑過ぎて出来ないとの返事が返って来たそうです。
その結果、被災した蔵を解体し、新たな蔵を建てることを余儀なくされました。
他県では震災によって全壊・半壊した建物を解体する場合には補助金が下りました。
しかし、岩手県では、津波があった沿岸部には補助金が出たものの、内陸部の北上市には補助金が下りませんでした。
その結果、震災から4年が経とうとしている中、未だに解体が進まず、全壊した建物が瓦礫のまま残っているという状態なのです。
私は蔵を訪問した際、その様子を見て驚きました。
そして、喜久盛酒造は行政に頼ることを止め、近隣で後継者がいないことを理由に廃業した酒蔵を借りて、酒造りを継続することを決めます。
引越しの際の費用はクラウドファンディングによって調達しました。
幸い、喜久盛酒造は、2005年に立ち上げた純米酒の新ブランド「タクシードライバー」の売り上げが好調。
日本酒ファンの間でも「美味しい酒」として注目され、新進気鋭の一角になりました。
私は美味しい酒を造る蔵であれば、それを世に伝え、応援することが地酒専門店の役割であると考えます。
そこで、私は2014年11月と2015年2月に、新たに酒造りを行う場所となる「喜久盛酒造の花巻工場」を訪問。
私自身の目で「喜久盛酒造」で酒造りが行われている現場を確認致しました。
まだこれからの蔵ではありますが、蔵元を応援する意味でも喜久盛酒造で製造される酒を販売していきたいと考えました。
商品名だけを聞くと、少しふざけたような蔵だと思われる方もいるかも知れませんが、実はとても真面目な蔵元なんです。
是非、皆様に飲んで頂き、「タクシードライバー」の美味しさを知って頂きたいと思っております。
どうか、「タクシードライバー」をよろしくお願いします。
佐野吾郎
地酒.COMは蔵元との太いパイプにより、
商品の安定供給を受けています。
喜久盛酒造 (きくざかりしゅぞう)の五代目蔵元・藤村卓也代表とJIZAKE.COMの佐野吾郎です。
タクシードライバーの販売はインターネット通販を代表する佐野屋が蔵元に代わって責任を持って行わせて頂きます。
当店は蔵元との太いパイプにより、商品の安定供給を受けております。
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