今回の移動は空と陸の両方。
まず、関西空港から飛行機で仙台空港へ。
仙台空港からは仙台空港アクセス線に乗って仙台へ。
仙台から新花巻までは東北新幹線。
こちらの方が喜久盛酒造五代目蔵元の藤村卓也(ふじむらたくや)さん。
学生時代は格闘技をされていたのだとか。
その後もゲームソフト制作会社に就職という異色の経歴の持ち主です。
現在、喜久盛酒造は花巻市にある蔵で酒造りを行っています。
北上市の本社蔵は震災で半壊。
とても酒造りが行える環境ではありません。
そんな時、隣の花巻市にある白雲酒造さんが廃業されることになりました。
そこで、廃業された白雲酒造で酒造りを再開、現在に至ります。
喜久盛酒造の看板商品、タクシードライバーの仕込みタンクです。
タクシードライバーは飯米のかけはしで造られています。
かけはしを含め、全ての米が岩手県産です。
こちらは麹室です。
殆どの設備は以前の白雲酒造から引き継いでいるのですが、この麹室は新調されました。
そして麹室内部へ。
ステンレスの麹室です。
麹造りは酒造りにおいて重要。
殆どの設備は前の白雲酒造から引き継がれていますが、こちらの麹室は新調されました。
こちらは酒母室です。
まず、こちらの酒母タンクで酵母を増やします。
十分に酵母が増えた所で仕込みタンクへ。
酒蔵の朝の風景と言えばこれ。
甑(こしき)からモクモクと立ち込める湯気。
米が蒸し上がりました。
蒸し上がった米はスコップで素早く放冷機へ。
これがなかなかの重労働なんです。
眼鏡が曇ってよく見えませんでしたが、誰かと思えば…。
放冷機から出てくる米を素早くほぐして行きます。
蒸し米は麹米と掛米に分かれます。
ちなみに、こちらは麹米です。
喜久盛酒造では3人の蔵人によって酒造りが行われています。
設備も充実しているとはとても言い難いというのが実情。
過酷な環境だからこそ、チームワークがモノを言います。
掛米はエアシューターで仕込みタンクに運ばれます。
この作業は櫂入れ。
櫂棒でかき混ぜます。
洗米機と言えばウッドソン。
しかし、ウッドソンはとても高額。
そこで、喜久盛酒造では学校給食で使用される洗米機を改良。
工夫に工夫を重ねての酒造りが行われています。
洗った米は素早く仕込み水を貯めた桶に運び込まれます。
そして、給水。
いい蒸し米に仕上げるには洗米、浸漬の作業がとても重要。
ホステス募集中!
という訳ではありません。
実はこれ、前の蔵元(白雲酒造)が掛けられたものなのだそうです。
藤村蔵元は特に考えずそのまま蔵に掛けていたのですが、見学※に来た人が面白がって写真を取りネットに上げた事によって拡散。
今では蔵の名物スポット?になり、訪問者は必ずここで写真を撮られるとか。(※喜久盛酒造は一般の方の蔵見学は行っておりません。取引先、取材など関係者のみです。)
花巻市の蔵から車で5分位移動。
震災で倒壊した本社の蔵に来ました。こちらは岩手県北上市にあります。
色々な物が展示してあったのですが、こんな興味深い物を発見!
昔の酒造りをミニチュアで再現された物。
こちらは倒壊した醤油蔵の前です。
震災の生々しい傷跡。
被災したのは沿岸部だけでは無いのです。
こちらは日本酒の仕込み蔵。
現在、こちらでは酒造りは行われておりません。
酒造りのピークを迎えている時期とはとても思えない静けさでした。
震災の影響で土壁がめくれ、中の小舞竹が剥き出しになっています。
ご覧の通り、とても酒造りが行える環境ではございません。
ですから、やむなく酒造りを継続すべく、現在は隣の花巻市の旧白雲酒造で酒造りを行っています。
こちらは酒母室。
建物の梁(はり)が落ちてます。
とても危険な状態。
再び醤油蔵の前へ移動。
近況と、復興の進捗状況を語って頂きました。
内陸部の復興は全く進んでおりません。
いずれは本社蔵でも酒造りを再開したい!
藤村さんの熱意が伝わって来ました。
蔵の奥の冷蔵庫前へ移動。
半壊した建物は天井が抜けています。
雪は倒壊寸前の建物に容赦無く襲い掛かります。
自然の厳しさを目の当たりにしました。
喜久盛酒造は本社蔵での酒造りの再開を目指しています。
瓦礫の撤去、倒壊した蔵を建て直す費用の捻出など、問題は山積み。
現在は全く目処が立っていませんが、決して諦めてはいません!
写真/清野達也
文/金巻 忍